新旧の対立と葛藤2(マタイ21:33-46)-2020. 10. 4. 聖霊降臨後第18主日 > 説教

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新旧の対立と葛藤2(マタイ21:33-46)-2020. 10. 4. 聖霊降臨後第18主日

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作成者 최고관리자 作成日20-10-10 16:34照会120회 댓글0건

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今日、私たちに与えられた福音書は先週とつながる福音書の箇所です。
先週、イエスさまは祭司長たちと長老たち、いわゆる、権力を握っている旧(既存の)勢力とぶつかり始めたと申し上げました。そしてイエスさまは彼らにたとえを使って、神の国について説明なさいました。たとえ、神の国は、徴税人と娼婦のように、軽んじている人々に、より臨まれるのだと言われました。当時は、律法と神殿が大切に思われていた時代でした。律法学者たちが会堂を中心にして、律法の教えと当てはめたなら、祭司長たちは神殿を中心にして、いけにえ、聖書の解釈、祭りなどユダヤ教の全体的なことを導きました。それによって、ユダヤ共同体の行政を指揮し、ある時期は、王の職も手に入れたことがありました(ハスモン時代)。つまり、祭司長たちは、貴族とも同じだったのです。貴族のような祭司長と民の代表である長老たちに、イエスさまは二人の息子のたとえを語られました。そして徴税人と娼婦たちの方が、彼らより先に神の国に入る(31節)と言われました。この言葉は、祭司長たちと長老たちにとっては呪いのような言葉だったでしょう。ユダヤ共同体のすべてのことを導いていて、自分たちが正しいと信じていた彼らにイエスさまのこの言葉は、攻撃的に聞こえたのだと思います。ところが、イエスさまの言葉は、それだけでは終わりませんでした。今日の福音書のたとえと言葉で、彼らの機嫌をもっと損じさせました。

今日の福音書は、ブドウ園と農夫のたとえです。
このたとえは、ある主人がぶどう園に関連しているすべてのものを作り、見張りのやぐらまで立て、農夫たちに貸して旅に出たということから始まります。この言葉の意味が何なのか、一度よく考えてみました。神さまはすべてのことを導かれて神殿を建てさせました。いけにえと儀式に関連するすべてのものを定めてくださり、これを執り行う人々に権威までも与えられたという言葉だと思います。そして農夫が旅に出たように、神さまはすべてのものを祭司長たちと長老たちに任せられ、彼らの成行きを見守ってくださいました。しかし彼らは、自分たちに任せられたことに忠実ではありませんでした。さらに、神殿に関連していること、行政に関連していることを自分勝手に、 自分の思惑通りにしようとしました。

それを示したのが34節以降の言葉です。
主人は、収穫のために、自分の僕たちを農夫のところに送ります。しかし、農夫たちは僕たちを受け入れませんでした。僕たちを捕まえ、袋だたきにし、石で打ち殺しました。再び他の僕たちを前より多く送りましたが、農夫たちは、同じようにしました。この言葉は、既存の権力者、旧勢力が自分たちに与えられたことを維持するため、正しくないことを行なったということを示す言葉だと思います。実際に使徒言行録を読むと、彼らは、使徒たちを牢に入れて、初代教会の執事であるステファンを石打ちで殺しました。その以来、教会についての迫害はひどくなりし、多くの信徒たちは男女を問わず、引っ張られて行って牢に入れられました。私たちがよく知っている使徒パウロも、当時は、エルサレム神殿の許すをもらって、教会を迫害することに最善を尽くしていました。これによって、教会はバラバラになり、信徒たちはディアスポラ(διασπορά)、すなわち、パレスチナ全域に散らされました。ディアスポラは散らされたという意味です。

皆様がご存知のように、福音書は、初代教会の共同体の信仰のために、後にイエスさまの言葉を覚えている人々によって書かれたものです。初代教会の人々は、自分たちの状況を通して、イエスさまがおっしゃった言葉の意味を悟ったでしょう。自分たちが迫害されることを、イエスさまはすでにたとえを通して語られ、迫害が神の国の実であるということが分かったでしょう。そして迫害している神殿の人々、すなわち農夫たちには、神さまの裁きが臨むのです。彼らは義人を迫害して、石打ちで殺し、神さまのものを自分のものにしようとしたからです。しかし、神さまは最後まで自分の慈しみを農夫たち、旧勢力の人々に与えてくださいます。それがご自分の息子を送られたことです。今日の福音書37〜38節の言葉です。
「そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』」

神さまはすべてのものを回復させるために、ご自分の息子を送られました。
それは許しの表現であり、唯一の機会でした。しかし、農夫たちの欲心は限りがありませんでした。彼らはブドウ園を自分のものにするために、主人の息子までほうり出して殺してしまいました。イエスさまはここまでおっしゃって、祭司長たちと長老たちに尋ねられます。
「ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫をどうするだろうか(40節)。」
彼らが答えました。
「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに收穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない(41節)。」
彼らは自分たちの口を通して、主人のものを奪おうとした対価について言いました。彼らの言葉通り、主人は農夫に罰を下して、ブドウ園は、他の農夫に任せるのです。

イエスさまはたとえを通して、なぜ彼らからぶどう園が取り上げられるのか、なぜそのような変化があるのかをおっしゃいました。任せられたことに忠実ではなかったということが変化の理由です。そして、イエスさまはどのように変化するかを言われます。取り上げられたブドウ畑、すなわち神の国は、その国を受けることにふさわしい民族に与えられるのです。もはや神の国は、選ばれた民族、律法を守っていけにえをささげている人だけのものではありません。いや、元々から神の国は、みんなのものでした。ただ、彼らが線を引いて、分けただけです。イエスさまは、その間、誤って行ってきた慣行のようなものが正すのだと言われるのです。そして、イエスさまは詩篇118編の言葉を言われます。42節の御言葉です。
「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』

捨てた石が親石になったという言葉は、当時の体裁に変化の風が吹くということを示す言葉です。
イエスさまを通して変化が起こり、神の国は、実を結ぶ人、変化を受け入れる人に与えられるのです。そして、この変化を避けることはできません。この変化が、親石、つもりすべてのものの基準となるものだからです。この言葉を聞いた祭司長たちと長老たち(ファリサイ派の人々)は、イエスさまを捕えようとしましたが、群衆を恐れて捕えることができませんでした。人々がイエスさまを預言者、新しい勢力として認めたからです。エルサレム神殿を含め、ユダヤ全域で新しい風が吹き始めたのです。

イエスさまは、今日の福音書を通して、すべてのことを神さまがお造りになり、導かれているということを言われます。それが神殿にしろ、社会にしろ、教会にしろ、私たちの信仰にしろ、神さまはすべてのものをお造りになり、導いておられます。そして、その中で、私たち一人一人に職務を与え、私たちがその職務を忠実に行うことを願っておられます。私たちが生きているこの世、私たちの教会と信仰は手に入れるものではありません。すべてのものは、神さまから頂いたものであり、私たちが成し遂げたことは何もありません。ところが、多くの人々はそのものを自分のものにしようとし、支配しようとしています。自分の手に入れて、自分勝手にしたいのです。このような欲は成し遂げることができません。神さまのものを奪おうとしていることだからです。イエスさまが悪魔に誘惑されたとき、最後の誘惑が何なのかを覚えられますか。自分にひれ伏して拝むなら、世のすべての国々をみんな与えようという誘惑でした。この誘惑にイエスさまは、「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」とおっしゃいました。神さまを拝むということは、すべてのものが神さまの御心にあるということを認めることです。そして、この導きに従うのが、神の国を受けるにふさわしい実だと思います。これに従わなかった祭司長たちや長老たちは、結局、イエスさまを十字架につけました。自分の欲望が自分たちの最後の希望であったメシアを殺させたのです。親石になられたイエスさまの御言葉が、私たちをすべての欲望と罪から解放させられますように。神の国がイエスさまに従っている皆様のうえに臨みますように、主の御名によって祈ります。アーメン。

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