(動画) 新旧の対立と葛藤1 (マタイ21:23-32)-2020. 9. 27. 聖霊降臨後第17主日 > 説教

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(動画) 新旧の対立と葛藤1 (マタイ21:23-32)-2020. 9. 27. 聖霊降臨後第17主日

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作成者 최고관리자 作成日20-09-26 16:38照会171회 댓글0건

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https://youtu.be/_ZPxIY8gRGo
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今日の説教のタイトルは、「新旧の対立と葛藤1」です。
私の考えでは、私たちが生きている多くの場で、対立と葛藤が起こっていると思います。政治や社会ではもちろん、スポーツ、国際関係、学校、会社、さらには家庭の中でも、この対立は起こっています。韓国では姑と嫁の葛藤による対立が、西洋では、義理のお父さんと婿の対立がしばしば起こっていると聞きました。日本でもこのような対立があるでしょう。このように、私たちの生活の中のいろいろなところでは、新と旧の対立と葛藤が起こっています。ほとんど「新」は、変化を求め、「旧」は維持を求める形です。かといって「新」が良い、「旧」が悪いということではありません。どちらも長所と短所があります。それぞれの良さを受け入れるなら、最良の結果を導き出すことができると思います。しかし、歴史的に新旧の対立の中で、良い結果を出したことは多くありません。「旧」は、自分たちがしてきたことを維持するために、それが良いか悪いか関係なく、「新」の変化についての要求を聞いてくれないからです。

代表的にルターの宗教改革もこれによって起こったのです。
旧約聖書の社会でも、新旧の対立と葛藤が多く書かれていますが、これも「旧」が続いて来たことを維持するために、変化を受け入れていなかったことが原因になったのです。例えば、王や既存の勢力の過ちを悟らせるために、神さまは新しい勢力、すなわち預言者を彼らのところに送られます。彼らがこの預言者の話を聞いて受け入れた場合は、神さまの赦しと平和が臨まれますが、そうではない場合は、対立と葛藤が始まります。預言者たちは「新」として、既存の勢力は、「旧」として対立するのです。そして「旧」の変化がなければ、神は「新」の側に立てられ、「旧」を裁いて変化を導かれます。

しかし、神さまが「旧」を憎んだり、嫌がるのではありません。
「旧」を愛しておられるから、彼らを悟らせるために、「新」をお遣わしになったのです。だから「旧」が悔い改めた場合は、「旧」の過ちを赦され、裁きを止められます。旧約聖書でバト・シェバの事件と関連しているダビデ王と預言者ナタンの話がその例です。ダビデの悔い改めによって、神さまはダビデを赦され、裁きを止められます。しかし、そうではない場合には、選ばれた民族であり、王だとしても、神さまの裁きは下ります。誤ったことを正すために「新」をお遣わしになって、「旧」と対立させられます。エリヤ、エリシャ、エレミヤなどの預言者の話がその例です。これらの仕組みの中で、「旧」は裁かれることに同然の存在として見えるかもしれませんが、神さまの御心は「旧」を裁かれることだけにあるのではありません。誤ったことを正し、回復させること。これが神さまのご意志であり、聖書が語りたいことだと思います。

今日の福音書も、このような対立を描いています。
今日の福音書だけを見れば、祭司長たちと長老たちが、イエスさまが神殿で教えていることに、言いがかりをつけているように見えます。しかし、今日の福音書の前の節を読んでみると、イエスさまは神殿の中で騒ぎを起こしたということが分かります。イエスさまは神殿が神殿としての役をつとめないと、神殿の中を片づけられました。この片づけはやや過激でした。神殿の中で売い買いをしていた人々を追い出したのです。神殿での売い買いは、イエスさまが活動なさった以前からあったことです。そして神殿での売り買いが全く悪いわけではありませんでした。人々に便利を与え、人々は神殿の売り買いに慣れていました。売り買いという職業を創出し、ここでの利益でヘロデの保護を受けることができました。しかし、これは神殿が建てられた目的ではありませんでした。だから、イエスさまは神殿をお片付けになり、片づけられた神殿からは、癒しと賛美が与えられました。神殿の本来の姿を取り戻したのです。しかし、このことを喜んでいない人々がいました。彼らは「旧」の勢力である祭司長たちと長老たちでした。彼らはイエスさまによる変化を喜んではいなかったし、このことによって、イエスさまを目の敵のように思いました。個人的な考えでは、このことによって、イエスさまが彼らに殺されたと思います。

神殿での騒ぎが起こった翌日、イエスさまは再び神殿の中に入られました。
そして、そこで神さまの言葉を教えられました。ここに祭司長たちと長老たちは、イエスさまのところに来て、このように尋ねます。「何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか(23節)。」イエスさまはこの尋ねにすぐには答えられません。逆に、ご自分の権威に対する答えを聞きたくなるなら、ご自分の尋ねに答えなさいと言われます。その後で、おっしゃった言葉は、洗礼者ヨハネに対する言葉でした。今、私たちは、イエスさまを神の子として、三位一体の神として、受け入れていますが、当時の人々は、イエスさまを洗礼者ヨハネの跡継ぎだと思っていました。イエスさまはこのように尋ねられます。
「ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか。(25節)」

この尋ねに祭司長たちと長老たちは、簡単に答えられませんでした。
その理由については、25〜26節に書かれています。天からのものだと言うと、なぜ信じていないかと言われ、人からのものだと言うと、皆が洗礼者ヨハネを預言者として思っていたので、群衆から非難される可能性が高かったからです。そこで彼らはイエスさまに「分からない」と答えました。するとイエスさまは「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい(27節)」と言われます。そしてイエスさまは、祭司長たちと長老たちに、「二人の息子のたとえ」を言われます。ぶどう園に行って働きなさいという父の言葉に、長男は「いやです」と答えましたが、後で考え直して出かけました。でも次男は「承知しました」と答えましたが、出かけなかったのです。イエスさまはこのたとえを語られ、彼らにどちらが父親の望みどおりにしたかを尋ねられます。彼らが「兄の方です」と答えると、イエスさまは旧約聖書の預言者のように、彼ら、すなわち既存の勢力を批判され、対立されます。イエスさまは彼らにこのように言われます。
「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった(31〜32節)。」

この言葉をおっしゃったことによって、イエスさまはご自分が何の権威でこのようなことをしているのか、だれがその権威を与えたのかを確実に示されます。イエスさまは神さまによって送られた過去の預言者たちのように、祭司長たちと長老たちを批判されます。本格的な新旧の対立と葛藤が起こっていたのです。今日の福音書前までのイエスさまは、既存の権力者たちと直接的な争いをなさいませんでした。律法学者たちとの議論は、しばしばありましたが、律法学者たちが権力を持っていたのではありませんでした。ところが、今日の福音書を通してイエスさまは権力を批判し、神さまの裁きのメッセージを伝えられました。ここで、「旧」の人々がしなければならなかったことは、悔い改めでした。しかし、彼らは他の「旧」の人々のように悔い改めてはせずに、「新」であるイエスさまと対立することになります。

今日の福音書の言葉は、イエスさまと既存の勢力との対立と葛藤を語っていますが、これを私たちの生活に持ってくると、神さまの言葉と対立している私たちの自我と比べることができます。私たちは、神さまの言葉に従っている信者として生きていますが、すべての言葉に従っているわけではないと思います。私個人的には、信仰の生活を通して、聖霊によって聞こえてくる神の言葉があると思います。聖書を通して、説教を通して、黙想と祈りを通して聞こえてくる神の言葉です。ところが、その言葉が自分の状況と合わない場合、私たちは様々な言いわけをして、御言葉に従っていないことがあります。そして、このようなことが繰り返されると、自分自身が神さまの言葉と対立するようになると思います。神様が私たちに与えてくださる言葉には、確かに理由と目的があると思います。その言葉が自分を困難にするようですが、そうではありません。その言葉は、神さまの愛から出てきたものだからです。イエス様が既存の勢力と対立なさったように、私たちの中にも、古い人と新しい人の対立があると思います。古い人を抜き捨てて、神にかたどって造られた新しい人を身に着けてください(エフェソ4:22〜24)。そして、神さまが与えてくださる変化を喜んで受け入れてください。神さまの摂理と導きが皆様と共におられますように主の御名によって祈ります。アーメン

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