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夜明けから午後5時まで(マタイ20:1-16)-2020. 9. 20. 聖霊降臨後第16主日

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作成者 최고관리자 作成日20-09-26 16:36照会146회 댓글0건

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今日の福音書には、公平な対価を受けたにもかかわらず、不満を持っている人々の話が書かれています。なぜ、同じ対価を受けたにもかかわらず、不満を持っていたのでしょうか。そして、なぜイエスさまは、このような話をなさったのでしょうか。今日の福音書を通して、私たちは救いについての神さまの慈しみと人間の偏見が分かるようになると思います。まず、今日の福音書を理解するために、今日の福音書の最後の節から見ます。16節の言葉です。
「このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
この言葉は、今日の福音書のすぐ前の節の言葉が繰り返されたものです。今日の福音書の前の節であるマタイによる福音書19章30節には、こう書かれています。
「しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」

同じ言葉が繰り返されたというのは、この言葉が当時の状況と今、私たちの信仰に必要な言葉だということを示していると思います。イエスさまがこの話をなさったきっかけは、ペトロの質問から始まったのです。ペトロは、永遠の命を得るために、どんな善いことをすればいいかと尋ねてきた金持ちの青年とイエスさまの会話を聞きました。その会話で、イエスさまは金持ちの青年に、すべての戒めを守ったうえで、持ちものを売り払い、貧しい人々に施してから、ご自分に従いなさいと言われます。そこで、金持ち青年は、悲しみながら、立ち去りました。たくさんの財産を持っていたからです。これを見られたイエスさまは弟子たちに、「金持ちが天の国に入るのは難しい」と言われます。すると、ペトロはイエスさまにこう尋ねます。
「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか(マタイ19:27)。」
この尋ねにイエスさまは、すべてのものを捨てて、自分に従った対価について教えてくださいます。
1) ご自分が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、イスラエルの十二部族を治めることになる。
2)わたしの名のために、すべてのものを捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。
3)しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。

このようなイエスさまの答えにペトロは喜んだかもしれません。イエスさまに従うことに対価があるということに満足したかもしれません。しかし、イエスさまの答えには、全部条件がついていて、最後のイエスさまの答えは、報いを受け取る者たちが必ず弟子だけを意味するわけではないということを示しています。そして、イエスさまは、今日の福音書を通して、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる理由について教えてくださいます。今日の福音書1節で、イエスさまは「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。」と言われます。この言葉は、今日の説教の中心になる言葉です。この言葉で、天の国はブドウ園にたとえられていて、主人は、人々を雇ってぶどう園に入ることができるようにする人にたとえられていることが分かります。すなわち、天の国のために働く人々を、天の国の主人である神さまがお召しになったという言葉だと思います。そして主人は、人々を雇うために夜明けから出かけていきます。主人が夜明けから外に出た理由は、本文の流れを通して分かります。一人でももっと神の国に入らせるためです。

主人は、夜明けから労働者を雇って、彼らと一日につき1デナリオンの約束を結びます。そして主人の雇用は続きます。午前9時、正午、午後3時...そして午後5時まで雇用が続いています。この雇用の中で共通点が一つあります。主人は雇用されず、何もしないで広場に立っている人々を連れてきたというのです。夕方になりました。主人は監督に、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさいと言います。監督は、午後5時ごろに来た人に1デナリオンをくれました。これを見た最初の雇われた人たちは、自分はより多くの賃金を得るだろうと思いました。しかし、彼らも1デナリオンずつもらいました。

皆が1デナリオンずつ受け取るようになると、最初に雇われた人たちは、不満を持ちました。最後に来た人たちは、1時間しか働かなかったのに、なぜ一日中働いた自分たちと同じ賃金を受けるのかということです。一方から見ると、この不満は当然のことです。働いた時間と量が違うからです。対価も公平でなかったのです。しかし、主人は、全く違う考えを持っていました。自分と約束した賃金は1デナリオンだったということです。夜明けから夕方まで働いたとしても、午後5時から1時間働いたとしても、1デナリオンの約束を結んで、働いたのではないかということです。だから主人は不満を持っていた彼らにこのように言います。
「自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ(14節)。」

恵まれる少数の人、優れた家門、1等国家、支配する民族など... これらのものは、人間が持っている偏狭で、利己的な考えの一つです。このような考えが不満と喧嘩の原因となり、後には戦争までも引き起こしたものです。ユダヤ人たちは、自分たちが神に選ばれた民族だと思いました。そして、このような考えは、イエスさまの時代の弟子たちと初代教会まで続いてきました。ただ信仰の対象がユダヤ教の神から、キリスト教の神に変わっただけでした。ペトロがイエスさまに、「わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言った真意は何でしょうか。すべてを捨てた私たちには、少数だけが享受できる特別な権利を与えてくださいということではないでしょうか。

神の国は、特別な人だけに与えられるものではありません。そして、その国のために働く人々も、特別な人ではありません。神さまは自分の国のために、広場で立っている人々をお召しになりました。もし召されなかったら、ぶどう園で働ける資格を得ることもなかったでしょう。神さまは何もない人々をお召しになって、ご自分の国のために働かせられました。これが私たちにとって福音であり、真の喜びなのです。ところで、人間が持っている偏狭な考え、または、悪魔的な考えは、このような福音に不満を持たせます。自分はもっと働いたのに、なぜ特別な報いを受け取ることができないのかということです。そして、このような不満によって、神さまに召されたという感動は消え去り、自分は神の国のために働いたという業績の意識だけが残るようになります。だから自分はもっと得るべきで、もっと享受すべきだという変な主張に陥るのです。

このような考えを持っている者に、イエスさまは約束を忘れないようにとおっしゃいます。1デナリオンの約束をしたということ、すなわち、神の国のために働いた人々に公平に与えられる救いを忘れてはなりません。これを忘れなければ、神の国のために召されたときの喜びも忘れないでしょう。広場で召されたときの喜び、何もしないで立っている自分をお召しになってブドウ園に行かせていただいた喜びを忘れることはないでしょう。信仰生活を長くした人、教会と宣教のためにたくさん働いた人によく訪れる大きな誘惑があります。それは自分が特別な存在だ、神さまの側近だと思うことです。しかし、神さまの御前では、みんなが同等です。夜明けに雇われた人も、午後5時に雇われた人も、みんなが神さまに愛される人であり、天国に入ることができる人々です。そして、今日も神さまはすべての人を天の国には入らせるために、夜明けから午後5時まで広場に出ていらっしゃいます。この驚くべき神さまの恵みを、当時の弟子たちと初代教会は必ず学ばなければなりませんでした。そして、私たちも必ず学ばなければならないものだと思います。私たちの信仰生活のすべての場で、この教えが実践されますように。私たちに与えられた1デナリオンの約束を通して、救いの喜びを回復する私たちになりますように主の御名によって祈ります。アーメン。

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